拡声器で独り言

ぜんぶ夢だったらいいのに

僕たちはどうやったら家族になれるのか

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僕はかなりのヘソ曲がりである。
 
たとえば、「家族になろうよ」は結婚式・披露宴の定番ソングになっているようだが、僕はこの歌を聞くたびにこれでまた家族の役割が固定観念として純粋な人たちに刷り込まれてしまうんだろうなと考えてしまう。
披露宴のファーストバイトでの司会のセリフで「男は一生食べるのに困らせない」「女は一生おいしい料理を作る」といった説明がされると、日本では本当の意味での男女差別がなくなる日は当分来ないだろうなと思ってしまう。
しかしこれに関する異議を唱えるのは営々と続いてきた日本人としての「家族」の役割分担を糾すことになり、そもそも結婚式でそんな七面倒くさい議論をする人間はそうそういないだろう。正直なところ僕だって御免だ。そんなことで議論して疲弊するくらいなら聞き流せば良いのだ。何しろ人生にだいたい1回だけのおめでたい席なんだから。
そんなことをいちいち考えているのがすでにヘソ曲がりだと言われたら、ぐうの音も出ないところではある。
 
ここまで書いておいてなんだが、ここで述べたいのは福山雅治的な話ではない。つまり結婚の話ではない。
僕が今考えているのは、赤ん坊としてこの世に生を受けたら半強制的に組み込まれる「家族」の話だ。
家族を本当の意味で家族たらしめるものは何なのか?
どういう状況にあれば、僕たちは家族だと心から信じることができるのか?
 
 
まず始めに誤解のないように述べておくと、「僕は」家族全員を心から尊敬して信頼している。いろいろな人に話を聞く限り、これはとても幸運なことだと思っている。世の中にはいろいろな家族がいて、いろいろな問題もある。
うちの家族で大きな問題なのは、僕が極度のヘソ曲がりである、ということだった。
 
言うまでもないことだが、子供は生まれてくる家に染まる。家族、こと両親は常に絶対的な存在として君臨し、両親が信じているものはまず間違いなく子供も信じることになる。当然ながら、幼児に何かを選択できるだけの頭はない。
僕もご多分に漏れず、両親の信じるものを信じる生活を送っていた。
ただ、僕はその中でもどうしても受け入れがたいことがあって、まあぶっちゃけて言えば代々続く家の宗教のことだが、僕の信念・思想信条とはかけ離れたものであることが大きな悩みだった。
その違和感には小学生から薄々気づいていたが、ここで僕が騒いでもいいことは一つも無かろうと思っていい子にしていたものだ。ただ、高校の頃にそれがとうとう完全に表面化してしまい、実家を出て一人暮らしを始める理由の一つになった。
繰り返すが、それでも無償の愛を与え続けてくれる両親は本当に素晴らしいと心から尊敬しているし、両親を純粋に信じて進む兄妹も素晴らしいと思う。
ただ僕がへそ曲がりなだけなのだ。
実家を出た後、関係が険悪になったかというとそんなことは全くない。
ただ、僕の信念が変わったということもないので、僕が結婚するとき、絶対に妻にはそういった類の勧誘をしないでくれ、と両親に筋を通した。
ここまでは僕の中ではそれなりにうまくバランスをとっただろうと考えていた。
しかし、そんな僕の自惚れが先日打ち砕かれてしまったのだ。
 
 
これまでも何度も大きな危機があった我が家族だが、昨今それとは比にならないくらいのとても大きな問題に直面しており、家族で一致団結して乗り越える必要がある。それはその通りで、僕としても全くもって賛成である。疑義を挟む余地は一切ない。
そのことで先日深く話し合う機会があったのだが、その中で実は僕以外の家族は「信じるものが違うから」僕を本当の意味で家族だと思っていなかったのではないかと気づいてしまった。その場では、「家族として団結できないのは僕のせいだ」と暗にも明にも言われたわけである。 
身から出たサビではあるが、家族が団結できない原因が僕だとしたら、それは本当に寂しいことだ。もちろん他人事ではなく、本当に申し訳ないとしか言いようがない。
悪いのは僕の曲がりきったヘソだ。だけどそんなこと言ったって仕方ない。嫌いなものは嫌いなんだから・・・
でも、僕は短い葛藤の後、いったん自分の思想信条を曲げることにした。
それは「自分とは自分である」という誇りを一時的に無くすことと同義だが、背に腹は変えられないとはよく言ったもので、時には自分より優先するものもある。
家族全て満足できるように、可能な限り僕は協力することにした。ただし、心から、ではないことに罪の意識を感じながら。
 
 
僕はその日の帰途、鬱々としながら考えていた。
家族を家族たらしめるものはなんなのだろうか?
本来は、血のつながりでさえ不要のはずだ。実子ではない家族だって強固な信頼関係で結ばれているものがある。
ただ、だとすると、一番重要なのは、「お互い信頼される・信頼するために」「同じ方向を向いていること」なんだろうか。
じゃあやっぱり僕は家族としてずっと見なされていなかったのだろうか。
家族としての理想とは、思想信条まで同じである必要があるのだろうか?
思想信条を曲げないといけない家族って一体なんなのか?
 
悲しいことばかり思い浮かぶ日は、家系ラーメン・半ライスつきに限る。
僕はその日、最寄りの駅から一つ手前の駅で降りてラーメンを食べた後、二つ先の駅まで歩いてから家に帰り、そのまますぐに寝てしまった。